挑戦する人々 NICHIGAS WEB MAGAZINE

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「挑戦する人々」について壁を超えた者だけに、見える世界がある。このサイトでは、いろいろな分野で活躍する人々のお話から、挑む気持ちの強さに触れていきます。

Issue: 01 河原尚子 Shoko Kawahara 陶板画作家、『SIONE(シオネ)』 デザイナー、Springshow Co., Ltd. 代表取締役 代々の窯元の家に生まれながら、自分の可能性をさらに広げるために。

Issue: 01 河原尚子 陶板画作家
代々の窯元の家に生まれながら、自分の可能性をさらに広げるために。

京都の窯元の家で育まれた、「職人」への思い。

「職人」という言葉は、私の実家では、ものすごく尊敬する呼び名だったんですね。職人さんがいらっしゃらないとモノが作れないですから、そこがいちばん大事。

実家は茶陶の窯元で「真葛焼」って言いまして、名前をいただいてからは6代ですけれど、遡ると起源はもっと古いです。「真葛焼」の窯を開いたのは優れた陶工だったんですが、いろんな地方に行って焼き物を教えながら、そこで産業を成り立たせるディレクターみたいな存在だった。

私自身は、肩書きに「職人」という言葉を入れてはいないんですけれど、自分の技術そのものにすごく誇りを感じてますし、「職人さんたちに光が当たる世の中にしたいな」と思っています。

近すぎて見えてなかった焼き物への扉が開いた瞬間。

うちには兄がいて、私が家を継ぐことはなかったので、「焼き物をしろ」って言われたことはありませんでした。自分では短大で日本文学を学んで、なにか自分のやりたいこと、出来ることがないかと思い始めた。文学を突き詰める道もあったし、周りにはそのまま総合職に就職する子もいたりとか、すごく悩んだ時代でした。

その頃に入り浸っていた友人の家のお父さんから「お前は特異な家に生まれてきたんやから、勉強してみたら?」と言われた。ずっと近すぎて見えてなかった扉が開いた瞬間みたいだったんです。「あ、そっか、焼き物か!」みたいな感じで。

それで、父に「継ぐわけやないけど、やってみたい」と、お願いしたんです。両親からすると、焼き物屋はいっぱい親戚にいるから、なくてもいい。でも、私は客観的に家のことを見てて「この技術やお茶の文化をどうにかしたい」という気持ちもずっとあったので「なにか出来るかも知らん!」と飛び込んだんですね。

この陶板画の技術を手につけたい!有田に修行へ。

そういう流れで焼き物の業界に入ったけど、学校を卒業したあとに、就職先でまたちょっと悩みました。「家への弟子入りっていうのは、なんか違う」と。腰かけでちょっとやって、お見合いして、結婚という流れになるんじゃないかと(笑)。「このルートは違うぞ、なにかを自分でやりたい」という気持ちがすごくあった。

当時、私は、絵付けだったら佐賀県の有田か、石川県の九谷かどっちかかな?と悩んで、検索してたんです。そしたら、佐賀県で修行をされた陶板画の先生のホームページに行き当たりまして。「これはすごい!」と思って、メールをさせていただいて、飛び込みで2年間修行させてもらった。気持ちとしてはもっと長くいたような感じです。すごく濃かったんですね。

独立したいと思っていたので、向こうに行く期間を決めて「行ってる間にお金を貯めよう。絶対、彼氏も友達もつくらない!」と集中しました。向こうに行ってからは、描いてるものが仏画だったんで「私、もっと精神修行しんと全然あかんわ」と山に登ったり、滝行で滝にうたれたり。仙人みたいな時間を2年間送らせていただいたおかげで今がある、と言うても過言ではないです。

有田と京都をつなぐ存在になれるように。

その中で師匠がずっと「あなたは職人じゃない」って言うんですよ。「技術を学ばせてください」って言うんですけど、「もっと、ほかのことが向いてるよ」って。

それで2年経ったころ、「京都の文化をまだなにも学んでないし、学びなおさなあかん」という思いが強くなって、「先生、申し訳ないんですけど帰りたい。これで終わりではなく、佐賀と京都をつなぐような存在になれるよう頑張る」と殊勝なことを言うて、帰ってきたんです。帰ってきたときは、すごく清々しかった。佐賀で技術も学ばしてもらったし、新しい扉を教えてもらったみたいな気持ちだったわけです。

陶板画のアーティストとして、京都で再スタート。

それで、まずは陶板画のアーティストとしてやっていこう、と思ったんです。そうしたら、父に「家の職場に入らなくてもいいから、お前は売れるもん作れ」ってピシャッと言われたんです。けっこう厳しいですけど、「これで立っていけ」っていう父の強い気持ちとかもあらはって。

まだ「技術」しか身につけてなくて、白い陶板画渡されても「なに描こう?」っていう状態のときに、「売れるものってなんやろな?」と、いろいろ考えました。「それはお茶につながるような “その人の心に答えがある” こと?」と思いついて。アーティストとして表現したいっていう葛藤はあるんですけれど、まずはそこから始めようと思って、最初に佐賀でものすごく感銘を受けた植物を描いたんです。

それで、自分で売り込みに行って、半年後くらいに京都の高島屋さんで初個展を開かせていただいたんですね。それはもう、今でも売り上げたことがないくらい(笑)、売れたんですよ。

「人の心に答えがある」=デザイン。もう一度学ぶためにウェブの会社へ就職。

売れたのは、本当にうれしかったんですけど、そのうちの何人がご祝儀で買ってくださったのか、とか、どの絵がなぜ売れたのかっていうのが分からない。

「これはもっと勉強せなあかんわ」と思いました。「 “人の心に答えがある” っていうのは、デザインに近いんやな。そしたら、もっと平面の構成とか勉強した方がいいんじゃないか」と思って、それでウェブデザインの会社を探して、そちらに就職しながら陶板画作家として3年ほどやってたんです。

ウェブデザインの会社では、ウェブの構成とかグラフィックデザインとか、撮影とか、他社とのやりとりとか 運営とか、色々まかせてもらったので、いま考えると会社を立ち上げる基本的な筋力みたいなものが身についたという気がしています。

ダイニングテーブルで、どうやってお茶をふるまおう?『SIONE(シオネ)』の出発点

その時は、働きながら陶板画を作っていたんですけど、やっぱり人が喜んでくれるものって、うれしいんですよね。そこから改めて実家の仕事を思ったときに、「テーマがある器で、いろんなものを取り合わせて、人をお招きしてお茶を点てるって、なんてすごいんやろう!」って、改めて茶道の文化に感銘をうけました。

その時、お茶も勉強していたので「もっとみんながこの文化を知ったらいい。でも、なかなかお茶室ってつくれないよな」という思いが湧いて。

ちょうど結婚して、最初住んだところはマンションで、畳もないし、お茶をだすにせよふつうのダイニングテーブルだった。「どうやってお茶をふるまおう?」って考えると、「物語をつけた器で誰かにお料理を食べてもらったら、器だけじゃないなにかを持って帰ってもらえるんじゃないかな?」とアイデアが浮かんで、「この(ウェブ)会社を退社する時は、この発想を “つくる” ときやな」と感じた。それで、2009年で退社して、『SIONE(シオネ)』を立ち上げたんです。

技術をつなげる。分母をひろげる。

最初に器づくり始めた時は、父から「器はつくらないでほしい」と言われたんです。「私は競争したいんじゃなくて、新しいところを開いて分母をひろげたいということだから、分かって欲しい」ということを、何度も話しました。そういう中で、やっと「納得した」と思ってくれた時があったんです。いろんなメディアにも取り上げていただいて、ほかのところから「頑張ってはるな」というのを父が聞いたりしたと思うんですけど、その時はホントに、いちばん嬉しかったです。

京都はそれだけみんな必死でやってるってことなんですよね。どんどんお茶人口が減っているというのも、みんなソワソワ感じてたりしてて。どうしていいかわからない、でも、自分たちは自分のことやり続けるしかない。古いお家は特に、急に方向転換なんかできないですから。そういうのを、みんな思いながらやってるので、自分はそこに「つなげる」仕事ができると思っています。

最初に佐賀の師匠に「職人じゃない。ほかのことが向いてるよ」って言われたときは、悩みましたけどね、技術を学んで職人になるために来てるのに!って。でも、私が10年20年やってもかなわない職人さんがいっぱいいることに気づいて。そこを目指すよりは、それだけ腕のいい職人さんたちと一緒にモノをつくるほうが向いているかもしれへん、技術がすごくてもどう活かしていいか分からなかったりする部分を「私がつなげられる」、と思うようになりました。

今は少しずつ認めていただけるようになったんですけど、これまで職人さんのモチベーション上げることから、なにからなにまで、ひとつの勉強だったなあ、と思います。師匠の「職人じゃない」と、父の「売れるもん作れ」という言葉はありがたかったです。

分業を超えて、思いを、横へ広げる。

京都は狭いので、いろいろ横のつながりはあります。でも、たとえば「友禅」と「西陣織」。染めと織りは、全然交わらないんですよ。それすごい残念やなって最初思って。

分業されてる人同士が全然交わらないので、この上にどういう絵柄がつけられるか、なにに使うか知らなくて、生地をつくってらっしゃったり。なんか “思い” が分断されてて、すごいもったいないと思うことがあって。ですから『SIONE(シオネ)』の場合は、最終的な絵柄までお伝えしたり、どういうところで、どんな人が買ってくださったか、というのを職人さんにお伝えするようにしています。

たとえば「I am your YUZEN」(*註) のドットシリーズは、友禅の色合わせに使うパレットのようなものをヒントにしたんですが、「技術を知ってほしいから、作ったんです」ということを職人さんや友禅業界の方にお伝えしました。そうしたら、みなさんがすごい共感して褒めてくださったんですね。京都の人たちは、やっぱり“背負って”はるので、そのあたり大事やな、と思ってます。それをやってなかったら「捨てるものに値段つけて売ってはる」ってなるかもしれない(笑)。

註:友禅の色合わせでつくられた、ネクタイや蝶ネクタイなど、すべて一点もののテキスタイルを使ったシリーズ。

技術を残しながら、新しいモノをつくる挑戦。

私は京都の住み方は分かってるけど、「そこにいちゃいけないな」と、よく思います。特異な土地なので、それを「広げていく」って意識している。京都っていい意味で、シャンとしてないとつぶされてしまう土地だと思うんです。だから、よく勉強しないといけないし、いろんな人と交わらないといけないし、開いていかないといけない。

「I am your YUZEN」で蝶ネクタイをつくるときに、構造を「技術」と「形」と「文様(物語)」の3種類に分けて考えてみたんです。例えば “友禅”の「技術」があって、それを“着物”の「形」にして、“古典” の「文様」にすると、友禅の <着物> が出来あがるわけです。それを一回分解してみて、「技術」は “友禅”、「形」は “蝶ネクタイ”、「文様」は、私が新たにデザインして・・・っていうと、全然違うものができあがるじゃないですか。技術を残しながら、一回分解してなにを作るのか考えないと、と思っています。それをひとつのチャレンジとしてやっていきたいですね。

海外への挑戦。新しい「MADE IN JAPAN」へ。

2011年から新作の発表としてミラノサローネに出展していますが、去年から増えてきているのは中国なんです。それに台湾も。海外には「MADE IN JAPAN」に価値を感じられている方が、すごく多いんです。だから、全国にいろんな職人さんがいはるんやから、地方の職人の技術を組みあわせると、新しい「MADE IN JAPAN」ができるんじゃないかな、ということも感じてます。

やっぱり日本って、すごい特殊なんですよ!たとえば、こういうところにも(・・と机の上のソルト入れの口の部分を指して)絶対バリとかないじゃないですか。ほんま綺麗じゃないですか。海外では絶対ありえない。

日本は、精巧につくるんですよね。だから、遠くからみたときに、端正すぎて「面白み」が欠けちゃう。ミラノとか、台湾とか、中国とかもそうなんですけど、作り方は「雑」なんですよね。たとえば建造物とか大きな物でも、近くでみるとバリがあるんです。でも遠目で見たときに、全体のバランスがとてもいいのでおしゃれなんですよ。

そう思った時に、日本って日本独自のモノづくりなんやなあ、って改めて思いました。それは、職人の力なんですよね。

「次」につなげていく。100年後に残す形をつくるという挑戦。

5ヶ月前に出産をしたんですけど、リアルに100年後が見えたんです。100年後だと、自分は死んでると思うんですけど、「あ、孫がいたら生きてるかも」と。そしたら町並みにいっぱいいる子どもが目についてきて。「そうか。この人たちのために残していくんやな」って思ったら、自分の “残し方” が変わってきた気がしています。

今、私がいちばん目標にしてるのは、みんなが稼げる組織をつくること。私がマネジメントできる環境をつくろう、ということに重きをおいています。いいものをつくって、それぞれの生活も潤うと、憧れて入ってきてくださる職人さんも増えてきますよね。それが大事やな、と思うんです。職人さんしてても、なんか楽しいぜっていう形をつくらないと増えていかないから。たくさんの職人さんと、誇りをもった仕事をしてその技術と美意識を後世に伝えていきたいです。

河原 尚子
京都出身。6代続く茶陶の窯元「真葛焼」に生まれる。佐賀での修行の後、2005年より自身の工房「Springshow Studio」にて、陶板画作家として活動を開始。その後、グラフィックデザイナーとして平面の構成などのデザインに携わり、他業種の経験をもとに、器の可能性を探求。
2009年11月、工房を法人化。自身のブランド「SIONE」を立ち上げる。生活の中にかくれた喜びやウキウキをテーマに、陶板画制作、SIONEブランドのデザインや他社ブランディング、お茶会を通じて、現代のもてなしの文化を提案。
http://www.sione.jp/

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