挑戦する人々 NICHIGAS WEB MAGAZINE

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「挑戦する人々」について壁を超えた者だけに、見える世界がある。このサイトでは、いろいろな分野で活躍する人々のお話から、挑む気持ちの強さに触れていきます。

Issue: 04 松本 理寿輝 RIZUKI Matsumoto ナチュラルスマイルジャパン株式会社 代表取締役 「子ども」を中心にしたまちぐるみの保育と環境づくり。純粋な楽しさ、面白さ、豊かさから子どもの個性が活き、人がつながる。

Issue: 05 坪内 知佳 萩大島船団丸 / 株式会社GHIBLI 代表
ジャージで走りぬけた萩大島の漁師たちとの4年間。鯵と鯖だけで島がこんなに生き返った!

子どもにとっての「故郷」を守りたい。

萩大島船団丸の代表に就任して4年です。法人になってからは1年ちょっと。結婚を機にたまたま山口の萩に行って、そこに居残っただけなんですけど(笑)。

自分にとっては「たまたま行った場所」でしたが、子どもにとってはやっぱり「故郷」なんですよね。うちの子が50歳くらいになったときに「俺の故郷、もうないんだよね」ってなったら、どうなのかな?って思ったんですよ。消滅しそうな可能性があるなら、そこを守るのが生んだ親の責任でもあるのかな、って。

萩市って財源の約80%か、もしかしたら関連会社含めると100%近くが、観光か水産に関わっているんです。萩大島船団丸は、まき網漁をやっていて、それが萩の市場の約66%を占めていました。つまり、うちが倒産すると萩市の66%の財源が消失するということです。もしそうなったら島とか市が存続し得るのかっていうと、「ない」ですよね。

山口県萩市から北西8kmにある萩大島からの海の風景。

日本が失ってきた「豊かさ」がある島の再生。

萩大島は、時代の流れからは遅れているかもしれないけれど、日本が失ってきた豊かさをまだ持っている島なんです。小学校で習った「5人組制度」っていうのが、100年前から変わらずいまだに健在なんですよ!大島では「5軒組」って言います。隣近所でいつ誰が死んでるかも分かんないみたいな、今の日本の諸問題を考えると、実はここはすごく豊かかもしれないって思います。

私は、そういう地方の豊かな文化を再度移植して、日本の活性化を図っていくことが、「地方創生」だと捉えているんです。ここ4年ほど「地方創生」って言葉がでてくる前から、ずっとそう考えてやってきました。「地方再生」っていう言い方のほうが好きですけど。

橋もなく、下水整備もされていないこの田舎の島で、漁業者が、鯵と鯖だけでこんなに生き返ったよー!って。さらに、県外から若者がたくさん移り住んできて…ってなると、「これ、素晴らしいモデルになれるんじゃないか」と思ってやってきました。

まき網漁は大きな20トンの船で行う。

深夜から早朝にかけて収穫した魚の受注はすぐに確定。船上で箱詰めにし「鮮魚BOX」として、その日の午前中に飲食店に直送される。既存の流通より最大24時間早く届く。

私たちの活動が、復興支援になり得るかもしれない。

4年前にうちが創業した当初は、ちょうど東日本大震災があった時期でした。津波に被災して流された浜の人達は、海がなくて、船がなくて、家がなくて、家族を失って。でも「もしかしたら何かやれるかもしれない」っていう気持ちがあって。そういう状況下で、萩大島の3船団があつまって萩大島船団丸として創業をしました。

きっかけは「このまんまじゃ生きていけないし、厳しいから」という漁師たちの声からのスタートだったんですが、「でもちょっと待てよ。実は何もないと思っていても、うちらすごい豊かなんじゃないの?」って視点の切り替えをさせてもらえました。もしかしたら、私たちが「0」から「1」になって、蜘蛛の糸になれるかもしれない。水産だからこそできることをやっている私たちの活動が、ものすごい復興支援になり得るかもしれない。それが「日本の中でやらなければならない、うちの役割じゃないのかな」って従業員ともいつも話しています。

浜がたくさん流れて、大量の魚と日本の市場が失われて、さらに魚食離れしていくっていうのが、このままだと進んじゃうと思うんですよね。なので、それに逆行する動きができるといいなって、ずっと思っています。

事業計画を書いたら、そのまま代表をやることに。

最初は「コンサル」という立ち位置で依頼を受けて、萩の品質の高い魚をブランド化して直接顧客に届ける「6次産業化」の事業計画を書きました。鮮魚を船上で箱詰めし直接販売する「鮮魚BOX」と、高級干物「船上一夜干し」と「寒風一夜干し」の製造・販売の計画です。

書類を出したら「代表をやってくれないか」と3人の船長から言われて、すぐに就任することになりました。もともと自分が「やれる」っていう責任を持って事業計画を書きましたし、他の方がやらないなら「じゃあ、やりましょうか!」って感じでした。

出荷した数だけクレームが返ってきて、電話は鳴りっぱなし。

立ち上げ当初は、携帯を5台持って全部にキャッチフォンを契約して、あとタブレットとファックスとで、1人事務所状態(笑)。電話はもうずっと鳴りっぱなしで、現場だったりお客様だったり、常に誰かとしゃべっていました。最初は出荷した数だけクレームが返ってくるような、クレームの雨嵐の毎日でしたね。もうやりながら、開拓しながら、従業員を叱りながら進む毎日です(笑)。

鮮魚を船で箱詰めしてお客さまに出荷するのに、「なんでこんなことを自分達がしなきゃいけないんだ!」って反発する漁師たちに、「なんで今回こういうトラブルになったのか」みたいな話をこんこんとしながら、漁師とともにジャージと携帯電話に囲まれて過ごす1年半くらいでした(笑)。

現場から自然に生まれてきた、意識の変化。

1年ちょっと過ぎたくらいから、出荷がある程度増えてきました。それが落ち着いた頃に、従業員を順番に東京に連れてきて、お客様と引き合わせ始めたんですね。そしたら、「お客様を思いやれって言われていた意味がやっとわかった!」って、意外と自然にみんなの意識が変化していきました。

そこからまた1年くらい経ったところで、さらに現場の落ち着きが見えてきたので、はじめはみんなに「絶対あり得ない」って言われていたけど、改めて設立当初から考えていた「法人成り」をしたいと伝えたんです。水平展開をして、全国の浜と手を取り合っていかないかって。

3年前は、「うちが厳しいのに、なんでよそを助けるのか?」といった、自分のところさえ良ければみたいな考え方だったんですよ。基本的に漁師って漁場を取り合う人たちですから、「世のため、人のため」という感じはなかった。

でも、海は繋がっているし、このままじゃきっと自分たちの首がしまるだけだから、そうしよう!って、満場一致で法人成りをしました。

「彼らの目線に立つ」ことで、仲間に入れてもらった。

時間が解決してくれたところはあるかなと思うんです。自分が逆の立場でも、きっと、飲み込むのにそれぐらいかかるかなって思います。「よそからポッときた小娘がやかましい」ってことですもん。本当にごもっともだと思います。でもむしろ、よそ者で水産の知識も経験もなく入ったから良かったのかもしれないですね。最初は、私、魚を触ったことすらなかったんです。それをさばいたり、活け〆したり、箱に詰めて、伝票貼って。

格好も、ジャージにスニーカーや長靴じゃなくて、スーツなんか着てる日には「お前はやる気がない!ジャージは正装だ!」って言われるんですよ。だから、ジャージを山ほど買いました。言葉使いも標準語だと「おまえ、なめてんのか」ってなるので、完全に島の言葉に変えて、やっと仲間に入れてもらって(笑)。

私が、従業員に「お客様の目線、消費者の目線に立て」って言うのと同じように、私自身が「彼らの目線に立つ」っていう部分は、努力したところかもしれないです。

ともに挑戦を続けてきた萩大島船団丸の従業員たちと。他県から移住してきた若手も増えてきた。

うちだけでは無理と言い続けて、みんなの視野を広げてきた。

意識改革って、「視野を広げること」かなって思うんですよね。日本では震災もあった。海は地球全体を取り巻く環境で、さらに地球規模で温暖化とか汚染がある中で、うちだけ努力して、うちだけ頑張って、チームワーク高めて、魚を追い求めていって、それで本当に安全に漁業を続けていけるんだろうかって。「絶対無理でしょ」って思います。

こういうことをワークショップ式に、従業員にずっと言い続けたんですよね。で、やり続けていくと「ああ、そうか」っていう風になっていった。3年かかりましたけど、彼らにとって「お!」っていう瞬間が、多分あったんだと思います。

私たちがやってるのは、まだこれだけの変化なんだよ、微々たるものなんだよって。ここだけ見ていたらすごい波に見えるけど、例えば誰かが辞めたとしても、ちょっと怪我をしたとしても、長い歴史の中では大したことないっていうのを、もう延々と、何かあるたびに言い続けたんです。

一番大きな風呂敷を広げて、従業員を、広く、引っ張っていく。

うち、従業員からすぐ電話かかってくるんですよ。朝の4時、5時とかでも「網が破れたー!」って。「で?」みたいな。「縫えばいいじゃない?」って(笑)。でも、網1枚は5,000万円するので下手したら廃業なんですよ。「廃業かも?」とも思いますけど、そこは経営者が言っちゃダメなところですよね。

でも、「大丈夫、どうにかするよ。私が直せばいいんでしょう?」ってなぐらいで言うと、「あっ、なんか大丈夫な気がする。」ってなる(笑)。「今まで大丈夫できたから、きっと大丈夫だと思える。」って。

そういう風に、自分が一番大きな大風呂敷を広げてやるっていうか、ビジョンとか目線を広く持って、従業員もなるべく広く、広く、引っ張ってあげる。それだけを、ひたすらずっとやってきた気がしますね。

今あることは当たり前じゃない。50年先を見越してプラスをつくりたい。

私がこういう風にいろんなところに出続ける理由は、4年前から日本の水産が急激に落ち込んでいるからなんです。震災のちょっと前くらいから、海の状況って本当に様変わりしてて、おかしいんです。

よく現場にも、「日本から天然魚の漁獲が100%なくなるかもしれないよ。今あることを当たり前と思っちゃいけないよね。ちょっと疑ってみよう。広い目で見よう。」って言っています。現場からは「今、和気あいあいやれているのに、なんでわざわざ場を乱す!」って言われるんですけど、「じゃあ、10年先どうなると思う?」って聞いたら「10年先もこのまま」って言うんですよね。「じゃあ、20年先は?」って聞くと「うーん、ちょっとわかんない」って弱気になってくる(笑)。「じゃあ、50年先は?」って聞くと、みんな胸を張って「絶対にこの島は消えている」って言うわけですよ。

それでいいのか?って。「私は、よくないと思ってる。その50年先を見越して言ってるんだよ。」って。すると「いや、でも今日明日の飯はどうする」みたいなぶつかりあいがまた始まったりするんですけど。

でも、例えぶつかっても、困ったときに手を差し伸べてあげられるのが、本当の優しさだと思っているんです。本当に困っている時に「何もしてあげれない」って言うよりは、「ほらね、だからこっち行こうよ!」って導いてあげられるのが本当じゃないかって。それが最終的に評価されれば、それでいい。評価されないにしても、何かプラスにならないといけない。

ただ生きているだけでも、何かを食っているのが、我々じゃないですか。だったら何かを産み出す努力をしなければ、プラマイゼロにすらならないよねって思う。それじゃ日本の経済、衰退するに決まってるじゃないかって、私は思ってますから(笑)。

萩大島から、50年先の日本の漁業と人の未来を守りたい。

未来へ継承するために生きるという視点が、芽生えてきた。

最初は、うちの従業員の大半が「50年先より、今日明日」って言い続けていたんですけど、3、4年経つと変わってきましたよ。

2年選手3年選手みたいな若い子も増えてきました。その子達は大卒とかでうちにきて、やがて奥さんもできて一緒に移住してきて、大島で子どもが生まれたりしています。で、その大卒の子達が「船を持って、次世代の漁業を担っていきたいです」って言ってくれるようになってきたんですよね。すると、そういう様子を見た若い子が、それまでの仕事を辞めてうちに来る。今、広島、香川、滋賀からとかいろいろ来ているんです。その子達が競って「船を作ってこの船団の次世代を担う」って言い出している。「俺はこのポジションがいい!」「俺はこれ!」みたいな。

「家を建てて、子どもを生んで」みたいなもので、「船を作って、この船団を継ぐ」っていうのが、彼らの働く前提になる。ただ今日をこなすのでなく、未来に継承するために生きる視点がやっと芽生えているのかなって、最近思います。

うち、問題児が多いんですよ(笑)。でもそういう問題児が、一級の魚、一級のサービスを提供するというプライドを持って、「母親が産んでくれて良かった。俺、生きなおします。」って言う。そんな時は、一番嬉しいですね。落ちこぼれ扱いされてた子が、役割を得て人をまとめたりするわけですよ。それなりに意地があるから頑張るし、やっぱイキイキしますしね。そういう成長ってほんとにねぇ、微笑ましいですし、見ていて気持ちがいいです。うん。

当たり前だと思っている日本の美しい食文化が健在であるために。

刺し盛りの美しい食文化が、50年後も健在であるために!

萩大島のビジネスモデルを全国へ水平展開していく第一弾で、今、福島の磐城の方で、試験創業中の漁師さん達と本創業に向けて出荷の段取りをしています。沖縄や北海道など遠くて行きにくいところや、人工減少や高齢化などで過疎化が進んで厳しい地方にこそ、日本の一次産業の伸びしろがあるし、そういうところから始めると展開しやすいと思うんです。

萩大島は全国の水産業界からみても、条件的に厳しいところなんです。お金の流れもシステムも、古くからのしがらみが多いですし、鯵と鯖しか捕れない。青魚の鯵と鯖ばっかりが船20トン分、1回に大漁に上がってくるわけなんです。その品質を保って、ある程度小ロット短納期のニーズになるべく答えていく。本来は、飲食店さんはいろんな魚を使いたいので、いろんな魚が混じって獲れるところだと小ロットで売りやすいですし、高品質を保ちやすいんですよね。それがうちで出来ているということで、それよりもちっちゃい船で漁をしている場所でも、水平展開しやすいんです。

刺し盛りの美しい日本の食文化が、50年後も健在であること。それが、私が目指していることです。当たり前に刺し盛りが食べられて、生ビールを飲んで、みんなが癒される、っていう文化が息づいていること。そこに行き着くために、動いていきたいと思っています。

坪内 知佳
萩大島船団丸 / 株式会社GHIBLI 代表
1986年福井県生まれ。大学卒業後、翻訳事務所を立ち上げ、企業を対象にした翻訳とコンサルティング業務に従事。結婚を機に萩大島に移住し、2012年に3船団からなる合同会社「萩大島船団丸」の代表に就任。魚の販売先を開拓する営業、商品管理と配送業務、3船団のマネジメントをまとめあげ、萩大島から6次産業化事業を牽引している。2014年に株式会社GHIBLIとして法人化。萩大島のビジネスモデルを全国に水平展開することを目指して奮闘中。週に1〜2日は全国で講演をし、他の日も他県に営業にまわる多忙な日々をパワフルにこなす1児の母。
萩大島船団丸(https://www.facebook.com/pages/萩大島船団丸/106497242832250

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